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2016年12月10日土曜日

ドクターのトドメ 社会的価値

引き続き、博士後期課程についてまとめていきます。



ドクターの学位の価値について、公的機関が発表しているデータを元に綴ってみます。引用するデータは、あくまでも一般的な結果です。平均的に先細りしていく業界であっても、逆境を強みに変えて大躍進している企業は山ほどあります。同様に、平均的に良い(ダメな)集団の中にあっても、ひどい(優れた)ひとは少なからずおります。
 意義がある3年間を過ごせるかを熟考するのは貴方です。

企業からみた博士の価値

今回は、2007221日に産業技術委員会産学官連携推進部会企業より報告された、『博士課程修了者の状況に関するアンケート調査結果・要旨』より引用です。

引用1
・入社後の博士の能力の伸びが、同年齢の修士より良いとの回答は、1.6%しかない。
 修士も博士も、ポテンシャルに差はないとのことです。つまり、企業・社会に貢献する為の大学のあり方、及び貴方の3年間の努力は方向が的が外れていませんか?


引用2
採用した企業の博士の問題点

「コミュニケーション力」

「協調性」

「業務遂行能力」

 ↑5年間以上もの間、似たような価値観・人間関係の中で引きこもって好きなことをやってきたとしたら、社会人として必要なコミュニケーション能力に相違ができるのは、ある意味当然かもしれません。
 業務遂行能力についても、同様です。3つの壁があります。1つは、研究能力がオフィシャルに通用する能力になっていない場合です。SciFinderChemDraw大学の図書館や論文アクセス権などなど、仮に、研究インフラがない状態であっても、能力が十分に発揮できる基礎力があれば良いのでしょう。一方で、思考力を放棄し、インフラを使いこなす能力を鍛えて、発想力のみで闘ってきたヒトにとって、インフラが変わればポンコツ化するのは間違えないでしょう。
2つ目は、研究環境の互換性の無さです。実験に必要な分析機械は型番・メーカーが異なれば、原理は同じでも、操作方法・試料作成条件・メンテナンス方法はゼロから学び直しです。研究をする以前の段階で、デバフがかかることになります。
3つ目は、価値観とルールの変化です。博士課程の卒業者は6年間、指導教官の方針が絶対でした。一方で就職すると価値観を企業風土に合わせなければなりません。郷に入れば合に従う必要があります。従って、6年間の価値観を捨てて適切に改宗できなければ、業務がこなせません。明文化されていない情報、社内文章の書き方、どの程度まで報連相を求めるか、企業毎に特有の社内ルールが山ほどあります。例えば、東京から北海道まで公共交通機関を手配できない人はいないでしょう。しかし、出張となると、企業毎に誰の承認が必要か、手続きの書式やシステムが大きく異なるため、新入社員は容易にできません。些細なルール、企業内の常識が大きな障害となり、研究以前のところでつまづくことになります。
こうした膨大な社内ルールを前提に、高度(?)な業務が遂行できるのです。
 博士後期課程で3年間、寝る間も惜しんで実験のみ頑張ったヒトより、修士で卒業して、3年間、給与を貰いながら社内ルールを熟知した人材の方が重宝されるのは当然かもしれませんね。

引用3
約9割の企業では、博士課程修了者を対象とした社内教育やキャリア形成支援がない。加えて、給与・処遇面において同年齢の修士より優遇していない会社は約73

(私が知っている)博士後期課程の方は総じて能力が高いです。奨学金という名の借金をこさえて、寝食を惜しんで研究に没頭して結果、運に恵まれて学位を取得できます。しかし、約8割の企業では、これを給与・処遇の面で評価していません。貴方の努力を評価してくれるのは博士を採用する企業のたった2割強です。報われない努力、徒労にならないといですね。

引用4
企業が考える大学院博士課程の問題点


  • 研究に偏っており、教育重視にシフトしてもらいたい


  • 産学の接点が少なく、ほとんどの大学で研究者養成のみになっている


  •  高度な専門性に加えて、対人関係能力や広い視野等の人間力について教育してもらいたい


  • 社会人としての教養、マナー、基本的なコミュニケーションのとり方を学ばせてほしい


  • 現在の人事制度においては、スペシャリストの側面だけで昇進・昇格することに限界がある。

研究室によって環境は大きく異なるため、所属する研究室を振り返ってみてください。
研究するために人生を賭して博士後期課程に進学している学生に対して、研究に偏りすぎているというのも、ブラックジョークな気がしますが...



アメリカでは違うのか?

次に、米労働省統計局がまとめた統計から引用したデータを孫引き引用します。

4大出の駐車場係員は18000人、ウェイトレス&ウェイターは317000人。博士号取って清掃作業員になった人は5057人。
全部合わせるとアメリカでは今、大卒なのに「大学出る必要のない」職種に就いている人が1700万人います。 http://www.gizmodo.jp/2010/10/5000_2.html

アメリカでは博士が重宝されるはずではなかったのでしょうか...。やはり、『優秀であれば』、博士として重宝されるという、前提条件はどの国でも一緒なのでしょう。『優秀であれば』、学位を習得しなくても十分に研究者としてやっていけるのですがね...ちなみに、学位を取れるほどの能力があるのであれば、学卒・修士で就職の道を選ぶことで、間違いなく企業の戦力になっていたはずです。優秀であるほど、少ない椅子をめぐって熾烈な戦い、骨肉の争い、敗れた際のハイリスクが鮮明になります。あなたも、周囲を蹴落とし続けて、勝ち続けられれば良いですね。

 経営論としての博士

経営者は研究を進めていく上で、博士をどのように論じているのか、ピーター・ドラッカーの意見を引用します。

「学位は高いほどより理想的な研究者である。」は誤っている。学位は知識を得た証明であり,これを活かした仕事ができることの証明ではない。従って,研究者並びに学位取得者の増員計画を発表するような企業は成果を出せない。極めつけに、学問的な保証がついていない怠惰な人物より,怠惰で無能な博士号取得者の方が,より組織を疲弊させる。

だとしたら、企業あえて博士を求める必要はないですよね。研究も出来る修士を採用して、3年間みっちりと修行するべきですよね。


 良い化学者になる方法


博士の価値を考える上で、含蓄のある文章だと思いましたので、URLを紹介させていただきます。



以上です



さあ、日本、ひいては大学のために博士後期課程に進学しましょう。

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